私は私のアイデンティティについて深く考えていません。
私は私です。
この言葉は、先日の全豪オープンで優勝した『大坂なおみ』さんの言葉です。
便乗する訳では有りませんが、私も全く同じ考えで生きて来ました。
今日は、この言葉に寄せて、今思う事をお伝えしようと思います。
私には、ハンディキャップがあります
9才の時に、病気をし、両下肢と右手の自由を奪われましたが、元々ネアカな私は、それを『不幸な出来事』と捉えた事は有りませんでした。
ただ、両親、特に母は大変だったと思います。
9才ですから、小学校に通わなければならない訳です。
母は車の運転は出来ませんので、学校までの2キロの道のりは、車椅子移動です。
私は、幼い頃から愛嬌が良くて人に愛されるタイプだったようで、周りの方々に恵まれました。
友達にも、学校の先生方にも恵まれました。
通学は、毎日の事ですから、母1人では大変です。
友達数人が、交代で私の通学の補助をかってでてくれましたし、学校内でも授業が受けやすいように先生方が配慮して下さいました。
誰からも、偏見を抱かれませんでした。
昨日までお転婆で、駆け回ってたゆきちゃんが、病気して歩けなくなったから、車椅子押して加勢しよう!くらいのノリです。
友達数人の自主的な好意は、他の友達にも伝播して行きましたし、その後の人生にも大きな影響を与えて行きました。
出来ることを喜び、尊重する生き方
私が、ハンディキャップになってからも偏見を受けずに『天真爛漫』に生きて来られたのは、両親の育て方に依るところが大きいと思います。
歩けなくなった
右手が動かなくなった
それは、9才の子供の私にもたいそうな人生の変化だった訳ですが、両親は
『左手は動く!』
『知恵はある!』
『ちゃんと喋れるから、意思の疎通はできる!』
と出来なくなった事を嘆くより『出来る事』を喜び、何よりそれを尊重する生き方が出来るように育ててくれたのです。
おかげで、友達も『ゆきちゃんが、出来る事をやってもらおう!』と前向き。
私も、左手で出来る事や座って出来る事はなんでもしました。
しなかった事は、水泳だけ(単に水が怖かったので、挑戦しなかっただけ(^◇^;)
駆けっこは、しましたよ
友達が、車椅子押して走ってくれましたから。
ハンディキャップがあろうが、なかろうが、私は私なんです。
左手しか動かないから…
左手が動けばそれで、充分
右手の分は智慧で補えばいいのです。
歩けないから…
足の代わりになるものを使えば良いだけの事です。
私の足は『WHILL』という電動車椅子です(右手が動かないので、自走出来ませんから、電動車椅子を使うか誰かに押してもらうしか有りません)
WHILLに乗ってる私を見た人は漏れなく『カッコイイですね〜』と言われます。
そんな事言われると、モチベーション上がりますよ^_^
出来る事を喜び、尊重する生き方ならば、出来ない事は言い訳にはならないのです。
『車椅子の姿』でお伝えしていきたいこと
私は、ブログは長年書いて来ましたが、『車椅子の姿』を公開しよう!と決めたの去年の11月です。
それまでは、別に隠していた訳ではありません。
お掃除講座や片づけ講座では、車椅子で講師してきましたし、スタッフへの掃除の指導や、お客様宅へ片づけの仕事で訪問することも度々ありますから、リアルでお目にかかってる方は当然ご存知です。
では、なぜいま、わざわざこうして誰の目にも触れるブログやSNSを使って『車椅子の姿』を公開しよう!と思ったのか?
今の世の中を見てると、あまりにも言い訳が多いと感じてしまうからです。
⚪︎⚪︎がないから、出来ない!
⚪︎⚪︎さんが、協力してくれないから出来ない!
⚪︎⚪︎な環境が整ってないから、出来ない!
出来ない理由は本当にそうでしょうか?
私に言わせて頂くなら、そうではないはずです。
⚪︎⚪︎という『出来ない理由』を並べたててるだけで、出来ることのほうを見て活かそうとしていないからではないでしょうか?
これからの世界は、超高齢化社会です。
老々介護なんて当たり前の世界になるのです。
自力で出来る事は智慧を使ってやるしかないのです。
その上で、出来ない事は出来る人が補う。
真の意味での助け合いの世界になるのです。
出来ることを喜び、尊重する生き方を伝えたい。
そう思って『車椅子』の私を公開する事にしました。
これからは、『車椅子の視点』で感じた『暮らしの事』『掃除の事』『片づけの事』を書いて行きます。
改めまして、よろしくお願いします。
車椅子の視点から編み出した山口由紀子式メソッド等を紹介している
山口由紀子LINE@はこちらから登録頂けます