【癌の闘病で判った】真実の生き方

室内環境改善コンサルタントの山口由紀子です。

人は生きて行く上で数回【大きな転機】を迎えます。

わたしの人生の最初の転機は【9才のころにかかった病気の後遺症でハンディキャップ】を得たことでした。

その後、【ニットのデザイナー】として3年修行。

その間に出品した【デザインコンクール】で【2年連続で日本一】になりそれがきっかけで、世界的デザイナーであるY氏にスカウトされましたが、デザイナーとして生きて行く自信のないわたしは、アッサリと引退

わたしは、【飽き性ではありません】が3年間必死にニットのデザイナーとして修行し、【日本一】を【二回受賞】という結果を出したので【引退】に関してはなんの未練もなかったわけです。

今、思っても【ニットデザイナーの修行時代】は苦労も多かったけど、【できないことに挑戦し、結果を出すこと】が出来たので青春時代の中で、1番キラキラしていたと思います。

2度目の大きな人生の転機は引退と同時に【夫】と結婚したことです。

わたしの両親は、実は夫婦仲が悪く(母がおとなしいので、ケンカはしません。

父が一方的に怒ってただけです)ギスギスした家庭でしたので、【結婚願望はゼロ】でした。

そんなわたしが、結婚したのは【夫が優しそう】だったし、求婚を拒否する理由がなかったからです。(男性に対しての期待感がゼロだったからかもしれません)

新婚生活を始めてから、【夫】は【父】とは正反対で【心底優しく慈愛に満ちた人】だったことが判りました。

(父も、1人娘のわたしを心底愛して育ててくれましたから、優しかったのでしょうが、ほとんど優しさは感じていませんでした。)

【夫】は独身時代の2年間は【船乗り】として【海外生活を体験】していますので見聞が広く、あとで判ったことですが、実家が、【農林業】だったので幼いころから山の下草を刈ったり、 お百姓の手伝いをしていたので、とても【働きもの】で【辛抱強い人】だったのです。

そんな人ですので、わたしの知る男性達の誰よりも【心が広くて大きくて温かな人】でした。

母と同じで【いつもニコニコして感謝を忘れない人】でした。

わたしは、【勝気】ですし、【毒舌】ですから【ひとさまのことをきつく言うこと】がありましたが、そのたびに【人のことを悪く言うものではないよ!】と優しく諌めてくれました。

何があっても【優しくわたしを包み込み護ってくれていたのです】

それは、【わたしに対してだけではなく友人や知人、お客様】に対しても同じでした。

ですので、当時は珍しかった【個人経営のハウスクリーニング業】が根付いて行ったのだろうと思います。

そんな【夫】が突然【癌の宣告】を受けたのは【53才の時】です。

虚弱なわたしと違って【健康そのもの】だった【夫の癌宣告】は、わたし達夫婦にとって青天の霹靂(せいてんのへきれき)以外のなにものでもありませんでした。

癌の闘病で判った【生きることの意味】

今は【2人に1人が癌になる!】と言われていますが、夫が癌宣告を受けた

15年前は【癌】はまだ少なくて、イメージは【癌=死】でした。

わたしは、夫を生かしたくて、【癌のこと】をインターネットで【必死で勉強】しました。

夫の命を奪うかもしれない【敵】の正体を知らずしては【闘えない!】と思ったからです。

おかげで、いろんな知識が手に入りましたし、素晴らしい先生にも巡り会いました。

【S字結腸】に出来ていた【癌】は無事に始末され、手術をしてくださった主治医からは

【2度と再発はしないでしょう!】とまで言われました。

ただ、【S字結腸に癌が見つかったときには、既に肝臓に転移】していましたから、これに関しては【しばらく経過観察】の方が良いでしょう!とのことでしたので【この日】から【夫】と【わたし】と【癌】の3人暮らしが始まったのです。

【肝臓から癌細胞を一歩も出さない!】と改めて決意したわたし達夫婦。

【夫】は【癌】の治療をしながら【ハウスクリーニング】の仕事を続けていました。

【抗がん剤】の治療のあとはきつそうでしたから、見兼ねて【仕事やめたら?】と言うと

【この仕事は生きがいだからやめない!】と言うのです。

【見守りつつ共に闘うしかない】と何度も決意をしなおしました。

日本でも有数の名医との出会い

【ピンチはチャンス】とは良く言ったものです。

闘うわたし達夫婦の前に【再び救世主】となる【腫瘍内科】の先生が現れたのです。

この先生は、【病気を診るだけではなく、人間も診て下さる】方でした。

夫の癌を撲滅したいわたしが、インターネットで調べた情報を先生にぶつけても

【イヤな顔一つされません】でした。

それどころか、【その方法はもう豊喜さんの治療には向かないよ!】とキチンと説明

をして下さいました。

そして、【癌を敵視してはいけない。豊喜さんの分身だから癌細胞に感謝した方がいい!】とおっしゃるのです。

断っておきますが、この先生は日本でも有数の【癌の名医】として誉れの高い方です。

スピリチュアルな方ではありません。

慈恵大学医学部を卒業され、【癌の研究】を常にされてる先生です。

人間的にも、優しくて包容力のある先生です。

その先生が主催されてる【癌の勉強会】に夫婦で数回参加させて頂いたことがありますが

【癌も悪くないよ!】とおっしゃった意味が良く判りました。

【人は生まれて来たからには、一度は死ぬことが運命づけられています。】

【癌】があるからこそ、【生きることの素晴らしさ】を知ることができる。

【生きていることに感謝ができる!】と言うことがだんだんと腑に落ちて行ったのです。

そんなある日【夫】と【癌】と【わたし】の3人暮らしはある日突然幕を下ろすことに

なりました。

福祉住環境コーディネーターの知識を持つわたしは、【入院はしたくない】と言う

【夫】の思いを叶えたくて【在宅で訪問看護治療】を受ける選択をしました。

在宅で癌の治療を受けるには、訪問して下さるドクターと訪問看護師さんが必要不可欠なのですが、友人の紹介のおかげで、素晴らしいチームに恵まれました。

でも、最高のチームの協力を得た在宅での看護は【僅か4日】で幕を下ろしたのです。

あれだけの【智慧を集結】したのに、あっけない幕切れにわたしは

【人生最大の悲しみのどん底に落ちました】

【夫・豊喜】が逝って今年で8年目。

ようやく、1人で生きて行く【覚悟】ができたわたし。

思い返せば、【夫は最高の生き方をした人】でした。

臨終を迎える寸前まで会いたい人に会い【ありがとう!またね!】と笑って

挨拶をしていました。

亡くなったとは思えないほどの【笑顔】でした。

お通夜は深夜11時過ぎまで弔問客が途切れることはありませんでしたし、何より弔問に来てくれた子ども達が【夫のそば】から離れないのです。

【おじちゃん、笑ってるよ】と。

わたしを1人残して旅立つのが心配だったのでしょう

子ども達に【わたしの行く末】を頼んでたのかも知れません。

【夫】は【わたしにおそうじジョーズを続けて欲しい!】といつも言っていました。

【夫の願い】はただ一つ【掃除や片づけを通して世界中の人を幸せにすること!】

その意思をわたしが引き継いでこれからも【使命ある限り】生きていきます。

愛する夫・おそうじジョーズ創始者

山口豊喜

この写真は【癌を手術したひと月後】53才の時の記念写真です。