ずっと思い出してもらえるように…最期につぶやいた内緒話

室内環境改善コンサルタントの山口由紀子です。

今日は、【在宅看護】のお話です。

53歳で、【S字結腸癌(発見時には、すでに肝臓に転移)】に罹患した夫は、6年9か月【癌】と戦うことになったわけですが、最初はS字結腸にできた癌を手術で始末し、手術後は一泊2日で抗がん剤の点滴治療に通っていました。

6年ほどは、仕事しながら、趣味だったウインドサーフィンしながら元気に暮らしていました。

でも、抗がん剤というものは、癌に対して次々と【抗体】を作り段々と夫の体をむしばんで行きました。

亡くなる年の8月は、ほとんど食事も取れなくなりましたので、わたしは【入院】を勧めましたが、夫は【イヤだ!】と言って聞き入れません。

その頃の通院目的は、【栄養剤】の点滴であって、もはや【抗がん剤】の投薬はされていませんでした。

わたしは、運転できないし、【点滴】のために通院するのも辛そうな夫を見かねて、【入院】を勧めたのです。

夫は、きっと何かを察していたのでしょう

【入院したら、家に帰れなくなるから、したくない!】と言います

ご飯が食べられないし、痛みも出ていたため素人のわたしには、手の施しようがないので【訪問看護】という制度を利用すること決めたのです。

訪問看護とは、ドクターや看護師さんが自宅を訪問し、治療をしてくれる制度です。

(介護保険で利用できます)

その時の、わたしの【訪問看護】の目的は、あくまでも治療であり、【看取り】のつもりはありませんでした。

しばらくしたら、又【いつものように元気になる!】と信じていたのです。

訪問看護師さんは、2人交代で来て下さり、夫の心のケアやわたしの心のケアもして下さいました。

特に、夫のケアのときは、【わたし抜き】でやって下さっていました。

訪問看護師さん達は、とても優秀なので、きっと夫の余命がそんなにないことを見抜いてらしたのだと思います。

1人遺して行くわたしへの想いなど、夫のホンネを聞いて下さってたようです。

訪問看護を利用し始めた4日後、夫は最期のときを迎えようとしていました。

(そんなに早く最期を迎えるとは思ってませんでした。思いたくなかったのかもしれません)

最期の瞬間、夫の横にピッタリと寄り添うわたしの耳元で何かを呟いたのです。

聞き取れませんでしたので、【なに?】と聞き返しましたが、ついに聞き取れないまま夫は逝ってしまいました。

【夫は何を言ったのだろうか?】とこの8年ずーっと気になっていましたし、推察してみましたが、どうしても思いあたりません。

夫のホンネを聞いてくれた訪問看護師さんが、何かご存知かもしれない!聞いてみたい!

とずっと思ってました。

その訪問看護師さんと、先日の水害避難先のいちょうの杜さんで、お目にかかりました!

(夫の本音を聞いて下さった訪問看護師さんはいちょうの杜グループの看護師さんだったのです)

忙しくしてらっしゃるので、お話をお聞きするのは遠慮していたんですが、ついにお話をできるチャンスが巡って来たのです。

【kさん、夫はあの時何を言いたかったんですか?ずーっと気になって仕方ないので、教えて下さい!】とお願いしたらK看護師は、【それはね、ゆっこさんが、俺のことをずっと忘れないようにと宿題を遺されたんですよ!】

とニッコリ笑っておっしゃったのです。

【宿題?】と聞き返すわたしにK看護師はたたみかけます

【ゆっこさんが、豊喜さんのいるところに行ったら速攻で聞けばいいんですよ!】と又ニッコリ!

あの世に行くまでの宿題なんですよ

【豊喜さんのことを忘れないために!】

【えーっ、宿題なんですかぁ?わたし豊喜さんのこと忘れないけどなぁ・・・】

と納得しないわたしにK看護師は【ずっと俺のことを思い出してて欲しいと思ったからから宿題出されたんですよ!】

と、言ってくれたのです

【ずっと、思い出してて欲しいから、わざと聞こえないように呟いた!】

妙に納得

確かにこの8年ずっと考えてます

【何を言いたかったんだろう?】って。

やってくれるじゃないか、豊喜さん。

この世で生ききって、あの世で再会したら必ず1番に【聞いてやる!】

【なんば言いたかったとね?(何を言いたかったの?)】って。

趣味の【ウインドサーフィン】しながら、ゆっこは謎解きをしてるんだろうなぁ・・・

と空の上からにんまりしてそうです